地元という感覚

妻が入院して5日が過ぎた。
緊急外来で入院したとはいえ、正直に言って、もう少し軽いものかなと思っていた。
2、3日経てば、あれって何だったんだろうねえなんて話をしながら飯でも食えるだろう、そう思っていた。
急に倒れてから、上からの内視鏡を2回、下からの内視鏡を2回、カプセルを1回飲んでいるのだが、病巣はいまだにわからない。
それでもずっと出血をしており、輸血をしないと敗血してしまう。昨日からずっと輸血を続けている。ヘモグロビンの数値は一向に上がらない。
この展開は、正直予想していなかった。
意識ははっきりしているのだが、それだけに焦りと不安は拭えない。


夕方、検査を終えて病室に帰ってくる。ストレッチャーに乗せられてぐったりしている妻を見るのはやはり辛い。予定では1時間の内視鏡は、2時間半に及んだ。妻は大粒の涙を流している。辛いだろう。
でも、オレがしっかりしないわけにはいかないんだ。


それでも、必ず「美味しいものを食べて帰れ」と病室を出る前に言う。
ただ、オレもさすがにあまり深酒をする気にはならなくなってきた。
そんなわけで、今日は近所のそば屋で喉をあまり通らない丼物でも胃袋に放り込んで帰ろうと思ったのだが、何と工事のために臨時休業。
正当化するわけではない。いや、それが自分という男の性なのかもしれない。そこで以前から気になっていた近所の冴えない店構えの居酒屋に足を運んだ。


正直、ビックリした。
ここのポテトサラダとチャーシューは絶品だ。
ポテトサラダは妻の大好物である。絶食中の妻に、今日までは「治ったら一緒にカツ丼を食いに行くぞ」と言っていたのだが、明日からは「おい、治ったら美味いポテトサラダを食いに行くぞ」にしようと思う。
そして、もっとビビったのは女将さんの佇まいと会話のこなし。鹿児島県は鹿屋出身。その台詞は倍賞千恵子か? と思ったほど。
聞けば、ここに店を構えて32年とのこと。わかる人にはわかるかもしれない。映画で「いろいろあったのよ」という倍賞千恵子の姿。
どうしてこんな技(?)を体得したのだろう。
店の客も近所の人間ばかり。


ここに住んでもう4年以上が経つ。イメージは「都会のど真ん中」なんだけれど、社会人になっていろいろと住んだ中でも、実は人がとても温かい。
2年前、妻が骨折したときはクリーニング屋のおばちゃんがとても心配してくれた。「買い物に行けなかったら私を呼びなさい!」と。
道行くばあさんは、松葉杖で5分の距離を30分かけて歩いている妻に、優しい声をかけてくれたのだという。
今日も妻が入院した話をしたら、妻の病状には上手く触れずに、「私の友達でね、こういう人がいたの」という話で和ませてくれる。
中学、高校、大学とこの町にお世話になったとはいえ、僕は生まれも育ちもこの土地ではない。
だから「地元」などという軽々しい言葉は使えないのだけど、僕にとっては「地元」という感覚である。
この感覚を感じたのは、社会人になってからは鶴岡と野毛と、そしてここなのだ。


ただ、惜しむらくはこの店は僕の大嫌いなセ○ジの臭いがこの店にはしてしまうんだよね。
そうか、それを支えるのがあんな気丈な女将さんなのかとも思うのだけど、それでも、カウンターに座る○イ○に携わる旦那を見て、正直いい感じはしない。
あの商売って、いちばん楽なんだろうな……ということに気がついて、気がついて……気がついたのがもう小学校の頃。
その感覚は正しかったらしく、僕も日本も、一向によくならない。僕は行動で示しているつもりなのだが、セ○ジそのものを否定する態度というのを世の中では「無関心」と言うらしいんだな。それこそファシズムでしょ(笑)
「○イ○」よりも、僕は身近な人への感謝のほうが大事ですからね。
嫌らしいことを目指さずに前に戻ったらいいのに。小賢しく立ち回らず、目の前に真っ直ぐに生きる。


まあ、ポテトサラダの味は、変わらないと思うのだけどね。
それだけは、こんなセ○ジ嫌いの非国民、変わり者と結婚してくれた妻に伝えないと。

入院と自責


母が入院した時のこと。



見舞いのために実家に帰った俺を、父親が近所の寿司屋で夕飯でも食べようやと誘った。

父子二人で、カウンターに座り、日本酒を飲む。



「母さんが倒れたのは、俺のせいだ」



普段絶対に弱いところを見せない父親が、珍しく悔いるようなことを話し始めた。

聞きながら、ああ、まったくその通りだ。母が倒れたのはお前のせいだよなあと思いながらも、そのまま口にしたら怒りのスイッチが入るのはさすがにわかっている。何も言わずに刺身をつまみ、盃を傾けながらながら話を聞く。

それにしても珍しい。父が、数々の傍若無人な振る舞いに耐えてきた母に対し、感謝の言葉を述べながら自責するなど、子どもの頃では考えられないことだった。

年を重ねてきた親父の姿が妙に小さく見えた。



昨晩、妻が緊急入院した。出血のため、ヘモグロビンの数値が下がっている。

深夜の緊急外来。車いすに乗せられた妻を引いて、用意された病室へと入る。

痛みは治まったが、胃カメラでも腸の内視鏡でも出血の原因がわからない。

これからさらに精密な検査を受けていくことになった。



今晩は、病院帰りに地元の寿司屋に行ってみようと思う。

ひとりカウンターに座り、たぶん俺はこう考えるのだ。



「妻が倒れたのは、やっぱり俺のせいだろうか?」と。

名古屋〜東京〜熊本〜仙台〜東京

水曜日:出張のため午前中から名古屋入り。
木曜日:夜まで名古屋。その後東京へ。
金曜日:熊本へ。
土曜日:義父危篤の知らせが入ったため、朝一番の便で熊本〜伊丹〜仙台と乗り継ぎ、仙台へ。
日曜日:夜まで仙台。その後東京へ。


義父は僕のことを実の息子のように可愛がってくれた。
その義父がリンパ腫に侵されていることがわかったのは、昨秋のこと。
連絡を受けたとき、早ければ1週間と言われていたが、その後回復。
リハビリも順調で、正月には笑いながら話ができるまでに回復していたのだが……
この病の怖いところは、どこに転移するかわからないところ。そして、転移後の病の進行が非常に速いところ。
年明け、脳に転移し意識不明。余命2〜3日を宣告される。
このときは正直もうダメかと思ったが、意識を取り戻す。
しかし、現代の医学では、脳の放射線治療と身体の抗がん剤治療は患者の体力的な問題で、一般的には並行できない。
そして今回、熊本で旧友と再会し飲んでいた自分に、涙声の妻から連絡が入る。
「今回はもうダメかもしれない。持って2〜3日。喪服を持ってきてほしいと言われた」と。
妻はすでに仙台に移動しているという。
僕は悔いた。薄々こんなことになる可能性だってあることはわかっていたのだ。
だけど、自分の休暇を優先して熊本に向かってしまった。
できることはただ1つ。翌朝から移動し、できる限り早く仙台入りすること。
焼酎でいかれた頭でガラケーを操作し(こういうとき、ホントにスマホなるものは役に立たない)、航空券を調べる。
あった。熊本空港発8:00。伊丹で乗り継げば、10:55には仙台空港に着く。午前中には大学病院に入れる。
幸い、空席もある。「許してやるから仙台に戻ってこい」、義父にそう言われているような気がする。
早朝、熊本市内から空港までタクシーを走らせる。間に合った。何でもいい。俺の身体さえ移動できれば、それでいい。


病院に着くと、親戚一同が神妙な面持ちで食堂に集まっていた。しかし、意識は回復したという。間に合った。まだ話せる。
とにかく見てきてくれと言われ、妻と病室に向かった。
「面会謝絶」のドアを開け、個室の病室に入る。
義父は僕の顔を見るや、涙ぐんで点滴の刺さった右手を差し出した。
「遅くなってごめんな。よくがんばったね!」
僕も涙が止まらなくなり、上を向いた。


これで3回目の危機。しかし今回も、義父は話ができるまでに回復した。
それでも、闘病が長期化すれば義母と義兄には疲れが見える。
この日は、義母と義兄には帰宅してもらい、妻が同じ個室内に泊まる。僕は病院から歩いて5分程度のところにあるビジネスホテルに泊まることにした。
妻と近隣で夕食を食べてから、再び病室に戻る。
義父が絞り出すように、ゆっくりとした口調で僕と妻に話しかけた。
「せっかくだから3人で話でもしよう」


義父はゆっくりと、この病室に入った時の話をし始めた。
テーブルの下から、男の声がこう話しかけてきたのだそうだ。もちろん、そのとき義父は意識がなかったはずなのだけど。
「死んだ後の世界は真っ暗だ。だがお前はまだ、真っ暗な世界には行けない。まだ足りないものがあるからだ。それが何だかわかるか」と。
義父は瞬時にこれだ、とわかったそうである。そして僕と妻に、何だと思う? と問いかけられる。
しばしの沈黙の後、妻が「愛かな」と答える。「近いな。そういうものだな」と義父が声を絞り出す。
「そろそろ寝るか」、そう言われ消灯することになり、僕はホテルに戻った。
翌朝、妻は義父から「愛の伝道師」という言葉を聞いたのだそうだ。


僕は無宗教である。それは、高校の倫理で哲学における「愛」を少しは習ったことはあるが、キリスト教を信奉しているわけでもない。人類愛など、普段意識もしない。
そして、この「愛」という言葉は、現代において何と陳腐で、何と都合よく使われていることかと感じてしまう。
「愛の伝道師」という言葉から思い浮かぶのは、ボッタクリの新興宗教とか、いかがわしい出会い系とか風俗とか、何だかそういうものになってしまうのだ。残念ながら僕は、それほどまでに擦れた人間である。
しかし、簡単に使われやすい言葉ほど、本当は深く、重要な概念であるのかもしれない。最終的にそこに戻る。
横溢され都合よく陳腐化された言葉ほど、実は見失いやすく、そして人間の根幹を突いているのかもしれないなと思う。
逆にいえば、人間の不幸の源泉は、その横溢と陳腐化による概念の汚染にあるのかもしれない。


ともあれ、義父は3度目の危機も乗り越えた。それはまだ果たし得ぬ「愛」への未練のためなのか、はたまた人並み外れた生への執着のせいなのか。
後ろを走っている自分を、まだ問い続けてくれていることに、心から感謝したい。

そうだね

人生っていうのはさ、人ひとりではわからないんじゃないかな。

生きていると、思わぬ形で自分の存在感って、見つかったりするんだろうね。

そのときに大事なのは、将来自分が後悔しないことなんだろう。

決めたらつっぱるしかないんだよね。

ご無沙汰です

どういうわけか、放置していたこのブログに立て続けにコメントが2つ付き……

恩師・ロバさんの記事には、知らない間に2つもコメントが寄せられていた。お返事、遅くなってしまいスミマセン。


ブログの記事を書くのは実に4年半ぶりくらいなんですね。不思議な気分です。

といっても、このブログ自体、実は「はてな」ではない、別のページで書いていたものでした。

昔、プロバイダがAOLだった頃、契約者は無料でブログを開設できる、っていうキャンペーンがあって。

そんなもんがあるんなら、せっかくなので思いのたけをブチまけてみようかと思い、始めたブログでした。

そして、AOLのブログはプロバイダ側の大人の事情(?)によってサービス停止になり……

僕は自分のブログに無差別に宣伝が掲載されるのがとても嫌いでね。

何でオレがボクシングの記事を書いてるのに「ダイエット」だと。

そんな理由もあり、当時広告のなかった「はてな」に、アーカイブからひとつひとつコピペして引っ越したのでした。

しかし、実は当時の記事はほとんど引っ越しを済ませてないんですよね。その後パソコンがウイルスにやられちゃって、アーカイブが開かなくなっちゃったりしてね。まあ、山ほどあったアブない記事は、意図的に再アップしなかったりもしたけど。


こうして過去の記事を久しぶりに読み返してみると、昔のブログって桃源郷みたいだったんだなあって思いますね。

SNS全盛の時代、なかなかホンネって書けないんだなあと思います。今じゃ炎上するんでしょうね。

そういう意味では、このブログってかなり際どいことをしていたし(記憶がないのに朝ブログがアップされていたりとか)、事実ブログのせいで女友達を2人くらいなくしたっけね。ハハハ。

僕もFB使ってますけど、やっぱり飾りますからね。人の目を、現実以上に気にする。でも、人間って、そんなにきれいじゃないからなあ。

そういう意味では、自分の過去の生々しいくらいの「生」を実感できたりします。


SNSなどにはなかなか書けないこと、書きにくいこと、またこのページで気が向いたら書いてみようかなと思います。

何となく、書いてみたいなって疑問も、最近はいろいろと出てきたしね。

もちろん、どこまで続くのかは、わからないけどね。

6/19(土)Live@Wild Side Tokyo&「の」

昨年12月以来、今年初の社外ライブ出演です。
ドラムでステージに立つのは昨年6月、六本木で「新横浜倶楽部」として出演した時以来、1年ぶり。
しかも、今回は初のフュージョン&ファンク系に挑戦!? です。
いやあ、HH16ビートのシャカシャカ系です。一部メンバーからは「だんだんオシャレなフュージョン系が爆音系に変わってきているような……」と指摘されていたりしますが(笑)


「新横浜倶楽部」時代のドラミングと比べて今はどうなのか?? たいして上達してないような気もしますけど(笑)
お時間のある方は、ぜひ冷やかしにお越しくださいませ。


☆第2回YAMAHAコミュライブ

○会場:Wild Side Tokyo(新宿三丁目・徒歩5分くらい)
http://ws-tokyo.com/


○時間:開場15:40 開演16:00


○出演バンド:ザ・バントレ・エクスペリエンス
※出演時間は19:15〜19:45の予定。トリから2番目です。


○セットリスト予定
ルパン三世のテーマ
・Night Birds/Shakatak
・Truth/T-SQUARE
・Pick Up the Pieces/Candy Dulfer
・Won't Be Long/バブルガムブラザーズ(Ver.倖田來未EXILE


○見どころ
他のメンバー全員、上手いです! キーボード・うさぺんさんの音作り、ギター・バントレさんのソロ、ベース・しげさんの安定感。
そして、サックス・RIKIさんの猛練習の成果をぜひお楽しみに!
他の出演バンドさんもぜひお楽しみくださいね〜。


○入場料:500円


○その他
・イベント終了後、会場で打ち上げありの予定です。みなさまぜひ!


残り2週間、細かいところを詰めて、本番最高の状態でステージに上がれるようにがんばります!



そしてもうひとつ、お知らせが……


お待たせしました。
昨年の六本木ライブ以来、一部の方から絶大な支持(?)をいただいておりましたバンド「の」が、ついに今年初のライブに出演することになりました。
7/31(土)、会場は大塚Deepaです。
現在確定している情報につきましては、下記をご覧ください。


http://www.otsukadeepa.jp/live.html?y=2010&m=7


出演順など、詳細は決まり次第、また改めて告知させていただきます。


今回は実力のあるプロの女性シンガーソングライターの方とタイバンということで、いささか緊張(というより、本当にいいのか、タイバンが「の」で……)しておりますが、新カバー曲も2曲加え、相変わらずのアブないステージでみなさまを興奮と喧騒と笑いの渦に巻き込みたいと思っております。んのぉ〜!
お時間のある方、ぜひチケットをご予約くださいませ。予約の方が500円安くなりますので。


考えてみれば、6月のライブも「の」のボーカルとして出演したのがきっかけで、ヤマハ新宿の方々にドラムとして誘っていただけたんですよね。
音楽を通じての人の縁に、心から感謝しています。
これからもどうぞよろしくお願いします〜。


【参考】2009/10/31「の〜Burn」@六本木Club Edge

音楽活動近況徒然

みなさまご無沙汰しております。


昨年末のライブ×2、年始の会社のライブ以来、しばらく音楽活動の予定がなかったぽんせです。
ここのところは他の方のライブを観に行ったり、楽器を物色したりしてました。


で、先日御茶ノ水でついにマイスネアを購入!
いろいろ試打してみた結果、選んだのはTAMAのSTARPHONICシリーズのアルミシェル。正直、購入前はTAMAのドラムはアウト・オブ・眼中だったんだけど、叩いてみたら予想以上に音の抜けがよくて、パワーのある鋭角的な音をしながらも奥行きのある音をしていて、これなら自分の作りたい音に適うなあと思い、購入を決断しました。
昨日マイスネアを持参して初めてスタジオに入ってみたんだけど、やっぱり全然違いますね〜。感動。
いやー、うれしいです。いい太鼓にめぐり会えたなあって思っています。


この1年で、ドラム楽器がかなり揃ってきました。
昨年3月にPearlのP-2000Bというペダルを買ったのを皮切りに、12月にはSABIANのB8チャイナ、そして今回はTAMAのスネア。
スティックもいろいろと試したりしていて、昨年亡くなったドラムの先生が愛用していたVIC FIRTHのGaddモデルを使ってみたり、六本木のハードロック・カフェの売店でド派手なスティックを買ってみたりしてます。


……とまあ、そんなふうにドラムグッズを着々と揃えているのとは裏腹に、昨年の後半からはボーカルの出番が多く、気持ちとは裏腹に「ドラム」よりも「ボーカル」のぽんせというイメージが強くなったりもしているみたいなんですが(笑)


そんなプチオフ中のぽんせですが、ここにきてようやく今年の音楽活動予定の話も出てきていたりします。


まずは6月19日。新宿YAMAHAの方々と、ドラムで、何とフュージョン系の曲中心でライブに出場予定。いやー、フュージョンですか! ほとんどこれまでの人生とは無縁です(笑)いけるのか、ぽんせ??
これまでに一緒に出場したことがない方ばかりなので緊張しますが、メンバーのみなさんとてもいい方で、楽しみです。
新しい世界に挑戦ですよ〜。ワクワク。


そして、8〜9月には会社の有志で自分の大好きなBLANKEY JET CITYのカバーバンドをやる予定。これもドラム。バンドでBLANKEYのカバーを演奏するのは夢だったので、超楽しみっすね〜。しかも、問題曲「ディズニーランドへ」「悪いひとたち」の2曲をやろうってんだから、気合い入ります。ステージ上で野生に帰るしかありませんな。たぶんドラム打ちながら叫びます。
同じライブでは、前回に引き続きTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのカバーバンドもやることになる予定。こちらはボーカル。前回はステージ上でギター落としました(笑)メンバーも懲りたと思うので、今回はさすがにギターの話はないかな……


10月にも新宿YAMAHAの方々と往年J-POP系の曲中心でバンドをやろうという話があります。これもドラムの予定。
その他、「刑道栄」なる男クサい、おバカバンドを組もうという話もあったり……六十斤の大鉞も、知力が低すぎて役に立ちません(あ、知らない方は三国志をお読みください:笑)。


そして、「の」もようやく先週久々にスタジオ入りして、再始動を開始しました。新しい曲も増えて、50分ライブに出場できる体制になりそうです! 5月以降はライブの話があれば積極的に出場を検討していきたいと思っていますので、ぜひぜひお声掛けくださいませ〜。


などなど、ありがたいことにいろいろな話が出てきましたが、喫緊の課題は練習時間の確保だったりします(笑)いや−、がんばってスタジオ入りします。
「飛雄馬、特訓じゃ!」「とうちゃん!」
……火の玉ノックっすね。望むところよ、フフン!