鶴岡再訪記〜その1

2005/8/29 0:54
8/26(金)
目が覚めたのはすでに正午前。やはり疲れが蓄積していたのか、目覚めが悪い。
台風はどこへ行ったのだろう。外の天気は穏やかだが。
さて、今日中に鶴岡に着いて馴染みの店に行くには、12:33発の京浜東北線に乗らなくてはならない。
重い腰を上げて、いそいそと旅支度を始める。

指定席の取れなかった上越新幹線だったが無事に座れ、
車内でビール片手に携帯で株の注文&投資雑誌に目を通す。
その後、再び睡魔が襲いはじめ、気づけば曇天の新潟駅
ここから特急「いなほ」に乗り継いでさらに2時間弱。
新幹線が新潟やら秋田やらに延びたこのご時勢でも、相変わらず庄内への道のりは遠い。
今や東北でも有数の陸の孤島都市といえるだろう。

ビールと軽いつまみを買って、特急「いなほ」に乗車。
指定席は運よく海側の席。
ほどなく列車は出発し、車内アナウンスが流れる。
「村上にはXX:XX、府屋にはXX:XX、あつみ温泉にはXX:XX……」
変わらない懐かしい駅名に胸が詰まる。
「府屋」などこの路線に乗らない人以外には、まず馴染みのない地名だろう。

村上の1つ手前に、岩船町という小駅がある。
駅裏の農協の壁に、地元の米「岩船米」を宣伝するコピーが手書きでいつも書かれていた。
毎回毎回小寒いコピーで、そうはいっても通過するたびについつい注目してしまう。
車窓を眺めていると、未だ健在ではないか。
曰く、「ズバリ言うわよ、岩船米う〜」
……相変わらず、小寒い。

村上駅を過ぎると、列車は「電源切替」なるものが行われる。
どういう目的で、何の「切替」が行われるのか俺にはよくわからないのだが、
いずれにしても「切替」のために、走っている列車の車内が真っ暗になるという「儀式」である。
真っ暗になったあとの車内のひと時の静寂。
これも、懐かしい感覚。

やがて本格的に日本海が見え始める。
笹川流れ」と呼ばれる景勝地
真冬、海が数日間荒れるとこの一帯で「波の華」と呼ばれる白い綿状の物体が舞うことがある。
雪と相俟って幻想的な風景を醸し出すのだが、
「波の華」の正体は、実は生命を失ったプランクトンの死骸が塩気とともに氷結したものらしい。
美には、影がある。

やがて小雨がぱらつき始める。
日本海は、やはり黒い。
9年前の3月下旬、就職先の配属が鶴岡というところに決まり、
入社前に物件を探しに来たときの車窓もこんな風景だった。
鶴岡とはいったいどんなところなのかと、期待と不安の入り混じった思いで、刺さるような氷雨に濡れた日本海を車窓に見ていた。
そして、あつみ温泉を過ぎた五十川という小駅付近で僕が見たのは、
海岸に座礁した大型のロシア船だった。
……大変なところに配属になっちまったもんだ、そう思ったのを憶えている。

由良峠を過ぎ、羽前水沢を通過。車窓が一面の水田に変わる。
横光利一が『夜の靴』で「初めて私は、ああここが一番日本らしい風景だと思ったことがある」「涙が流れんばかりに稲の穂波の美しさに感激して深呼吸をしたのを覚えている」と評した場所。
勢いを増した雨に打たれ、風になびく稲穂は、「頭を垂れる」時期にはまだ早い。

夕暮の鶴岡に到着したのは、日没に近い17:40だった。(つづく)