鶴岡再訪記〜その3

2005/8/31 2:11
8/27(土)
せっかく鶴岡に来たのだからと目覚ましを8:00にかけたはずなんだが……起きたのは10:00を回った頃だった。
幸いに二日酔いはない。まあ、所詮目的のない旅。気楽に行こうや。
さて、何をするかねと考えたら、まずは蕎麦が食いたい。大松庵の蕎麦。
しかし大松庵は車で行かないと難儀だ。
そこであるレンタカー屋に行ったら、あいにくの土日で満車。
仕方なく駅レンタカーで車を借りようと駅方面へ歩いたところで気づいた。
駅前のジャスコが、潰れていたのだ……道理で、昨日の鶴岡の闇は深かったわけである。
これで鶴岡も酒田と同じように、駅前地区の地盤沈下が進むのだろうか。
駅周辺に住んでいた我が身としては、やはり寂しい。
その後駅で何とか1台、カローラを借りることができたので、水沢にある大松庵に向かった。

久しぶりの運転。
国道7号線の両脇は、チェーン店の進出で減ったとはいえ、相変わらずの水田地帯。
11:15頃、水沢の玉兎山大松庵に着く。
水田に囲まれた変わらぬこの日本家屋。佇まい。
駐車場の傍らに置かれた湯野浜線の車両、そしてつながれた山羊。

「蕎麦食ひて はて何せむと 考へる」
鶴岡時代の俺のたまの休日は、こんな感じだった。
昼過ぎに起きたら車で大松庵に向かう。
板の間に座り、まずは板蕎麦の「うす盛」に「弁慶めし」を食べて、蕎麦湯を飲みながら煙草をのんで、「今日は何をしようかな」と考えるのである。
晴れている日は海に夕日を見にいくこともあった。温泉に行きたいときには地図で物色する。バクチを打ちたいときには何件かのパチ屋を周る。

本格的な昼時にはまだ早い。店内も空いている。
さっそく板の間に上がり、「うす盛」と「弁慶めし」を頼む。
縁側に揺れる木製の安楽椅子。その先に見えるまだ若い稲穂。
店内が混み合ってきた頃、「うす盛」と「弁慶めし」が置かれる。
蕎麦は自分がよく通っていた頃よりも細くなっていたような気がする。
「洗練された」とでもいうのだろうか……田舎蕎麦愛好派としては寂しい。
それとも今日のそば粉が「月山産」という上品なそば粉なので、そうしていたのか。
正直な蕎麦ではあるのだが、俺のとっての「庄内蕎麦らしい」香りを慈しむことはできなかった。
とはいえ、やはり庄内でも「弁慶めし」はここがいちばんおいしい。
大きすぎないほどよい形、香ばしい味噌のほどよい分量、風味を損なわない焼き加減。
何より……米が、うめえ!
これだけで十分に満足。混んできた店を出払い、車へと戻った。

さて、どこに行こうか。
まずは由良海岸へ行くことにしよう。
ここは鶴岡からそれほど時間がかからないこともあって、天気のいい日にはよく来たところ。
湯野浜ほど観光化されておらず、落ち着くことができる。

峠を越えて、由良へ。
国道を右折して、由良海岸に着く。
防波堤に描かれた鬼の絵。変わらぬ白山島の光景。
鶴岡時代に一度、腹痛に倒れ、入院したことがある。
朝6時から働き、夜12時に帰る繁忙期。帰れば翌日の授業の予習。その後息抜きにテレビゲーム、気づけば朝日が昇る生活。
車で運ばれた俺はストレッチャーに乗せられて診察室へと運ばれ、薄れゆく記憶の中、医師に「連絡先を教えろ」と怒鳴られた。
「近くに親戚は誰もいません」と答えたら、「両親はいないのか」と言われた。
やむなく東京の電話番号を教えたら、母親が血相を変えて鶴岡まで来てしまった苦い思い出がある。
退院後、荒れていた俺の家は綺麗に掃除され、そこに母親が待っていた。
机の上に転がっていたミートソースの缶はない。その横にあったエロ本はどこへ仕舞われたのか……。
照れ臭さもあり母親を連れ出して、病み上がりの体で車を運転して庄内を案内したときに、真っ先に連れて行ったのが、ここ由良だった。
海は今も変わらず綺麗だ。数名の小学生が水遊びをしていた。
永遠なれ、この風景、この水の美しさ。

次に頭に思い起こされたのが「葡萄」という地名。
国道7号線を南下し、新潟県に入って少し走ると、「葡萄」という集落がある。
客を呼びたいのならカタカナで「ブドウ」とでもするだろうに。
何があるわけでもないのだが、そっちのほうまで行って、あとは気の向くままに。

日本海沿いの国道7号線を走り、南下。
やはり俺が住んでた頃よりも寂れたなあ。
駐車場から女子風呂が覗けるなんて地元の噂があった立岩海底温泉に人影はない。
国道沿いのパチ屋も潰れ、ロープが張られて立入禁止。
やがて海を離れトンネルを越え、山側へ。
辿りついた「葡萄」の集落には、相変わらず何もない。
単に除雪基地と小さな町営スキー場があるだけだった。
でも、それで、いいんだと思う。

その後さらに南下し、小国町へ。
何もないのが好きで、ここにもよく来た。
運転しているだけで森林浴。ブナの宝庫。
昔このあたりに「金目そば」というのがあった。
人家のない細い道をひたすら行くと、どん詰まりの集落に1件の蕎麦屋があったのだ。
店内のメニューには「もり」しかない。香りのよい田舎蕎麦を出す店だった。
ナビを参考に金目の集落を目指してみたが、店には「長期休業」の貼紙が飾られていた。
道沿いになびく「金目そば」の赤と緑の旗はいずこへ……。

15:00を過ぎ、そろそろ鶴岡への帰路を辿ろうかと思い始める。
せっかくのナビを使い道路を検索してみる。
国道7号線を越え、海沿いの道を指示している。
庄内までの海沿いの道は「笹川流れ」と呼ばれる景勝地
車窓から眺めたとはいえ、もう一度近くから眺めてみるのもいいではないか。
ナビが遠回りを指示しているとわかりつつも、海沿いの道を通ることにする。

途中「道の駅 笹川流れ」(JR桑川駅)に立ち寄り、海を眺める。
日没の時間にはまだ早い。
この雲だから、今日は日の入りは綺麗には見られないだろうな。
そう思いながら、また車を走らせる。

事件は、その数分後に起こったのだった。(つづく)