「オレステイア」

2005/9/9 3:31
朝起きると、体が鉛のように、重い……。
週中ということもあるだろうし、昨日酒を飲まなかったってこともあるんだろうけど、目が開かないし、ヤバいくらい疲れてる。
集中力の使いすぎなんだと思う。多分。

午後から出社。業者との折衝は多分何とかソツなくこなし、その後は部署の窓口役やら指示やらに追われて、今日はさっさと早上がり。
というのも、今日は赤羽橋(東麻布)で「オレステイア」の公演があるから(後述)。
K嬢と一緒に17:30に会社を出て、Iさんと待ち合わせて、スタジオへ。
東麻布の商店街って、結構落ち着いてて、人情あるんだね。
差し入れにピオーレとマスカットを果物屋で買ったら、おばちゃんがみかんをひとつ、サービスしてくれた。

公演終了後、桜木町に帰り、行きつけの割烹屋へ。
というか、朝からコンビニでおにぎり1つしか食ってない。腹減った。
今日の生ダコは美味かった。これはいちばんやわらかいところだな。
板前に「出しやがったな、このやろう!」という感じだ。

本題。「オレステイア」。
俺が高校生のとき、「レ・ミゼラブル」という当時話題のミュージカルに学校で連れて行かれた。
とてもつまらなかった。どこがおもしろいのか、さっぱりわからなかった。
これまた俺が高校生のとき、渋谷のBunkamuraで、一人「ヘンリ5世」(たぶん5世だったと思う)なる映画を観た。
せっかく来たのだから何かをつかもうと一生懸命努力したのだが、何もつかめず、非常につまらなかった。
さらに俺が高校生のとき、「今を生きる」という映画では、エンディングのシーンで四方八方からなぜ鼻をすする音が聞こえるのかがさっぱり理解できず、何の感動もない自分にバツが悪くなって映画館を後にした。

つまり、俺は芸術的素養のまったくない人間である。
でも、つまらないと思うものはつまらないのだからしかたがないではないか。
高校生の頃から「おもしろかったねえ」と言うことができなかったし、大人になった今、一緒にいる人を喜ばせようと俺がどんなにがんばって「おもしろい」といったところで、俺のウソはすぐにバレるだろう。いや、事実バレて痛い目にたくさんあってきたと思う。
(それでもがんばって俺は「おもしろかったねえ」と言おうとするし、そう言わなきゃいけないと思ってしまう自分は、自分で言うのも何だが、ちょっとけなげだ。「じゃ正直になれよ」と言うかもしれないが、そうなったら大変である。ほとんどのものが「つまらない」である。そういう忌まわしき悪性は自分自身がよーくわかっていて、それじゃコミュニケーションもへちまもないから、無理に前向きにわかろうとして、疲れる)

しかし思った。演劇は、大人になってから観ると、おもしろいのだ。
レ・ミゼラブル」などなど以来、すっかり「西洋歴史モノ」に抵抗感を感じてしまった自分だが、今は経験を経て、ストーリーを置き換えて読みかえることができる。
そして、確かにこういう状況はある、だから今はわかる、となるのである。
高校生のときに自分がこの舞台を見ていてもわからなかったものが、わかるのだ。
俺には悪女クリュタイメストラの狂わしい気持ちがわかる。
女性の怖さという点ではむしろ現代的では?と思う。
そしてその実の母を殺そうとしたオレステスの気持ちも、わかる。
オレステスは善か悪か、ギリシア神話らしいのだろう、「裁き」という形でこの劇は幕を閉じるのだが、どちらに転んでもおかしくはない。
そこに、この話の、人間性のあいまいさに訴えるところがある。

ただし、そこはギリシア悲劇の大作を3時間で演じようというのだ、
役者の台詞は早口にならざるを得ない。
よって、演じ手が腹から声を出すのは難しいだろう。
そして観衆の我々にとっては、耳慣れない言葉が多いだけに、
発せられた台詞を理解し、ストーリーをつかむのはなかなか難しいことである。
だから、序盤からこの劇の世界に入り込むのはかなり難儀であると思う。
しかし、そこはストーリーの全体像が最後につかめるのが演劇。
最終的には、ストンと腑に落ちるストーリーなのだ。

事実、この劇では、観衆が入り込みやすいようにするための工夫をしていた。
オープニングでは「この話を現代に置き換えたらどうなるか」という現代の話が演じられる。
多少陳腐な演出であるのは否定できない。
ただし、俺はこういう「観衆が入り込みやすい脚本を作ろうとする意欲」は大いに認めたい。
岩波文庫をそのまま演じればよいというものではないのだから。

まり・もさん。
初日プレビュー公演、緊張するよなあ。おつかれさまでした。
人前で話をする仕事をしていた自分も、立場は異なるにせよ、初日の胸をかきむしりたくなるような緊張感は、わかります。多分。
演劇、続けなよ。役者でもいい、脚本でもいいから。
ちゃんと悪女を演じられているじゃないか。
セリフのとちりとかではない。マッチしていたじゃないか、演じた役に。
生霊となって現れたときのあの演技、まさに狂気だったよ。
あとはセリフがついてくればいい、それだけの話だ。
まり・もさんには脚本のセンスもあると思う。
勧めてくれる話を見る限り、君に泣かせモノ書かせたら、きっとうまいと思うぜ。
こんな俺が言うのもなんだけど、何かね、
静かに笑えるモノが書けそうな気がするんだよ。

俺は「演劇」っていう「映画」や「大舞台」にはない、
ヴィヴィッドな世界が好きなんだと思う。
「大舞台」ではない、小さな演劇でいいんだ。だからいいんだ。
失敗も成功も、どちらに出るかわからないような個人の力が集まって、
ひとつの小さな、でも大きくて力強い世界を作り出す。
そのドキドキ感。そんな緊張感が、たまらなく好きだ。
だから、できれば、続けてください。
今日は声をかけてくれて、ありがとう。

ということで、明日は会社に行けるのか?
明日は明日の体の重さが、あるのかな、と。