松下竜一『絵本』

終日仕事。帰りに日の出町のラーメン屋に立ち寄った。
こう見えて舌が純和風趣向な俺は、あまりラーメンという代物が好きではないんだけど、今日の店は結構おいしかったと思う。
今日食べたもの。昼=カップ麺、夜=ラーメン。そんだけ。以上。不健康だ。
帰宅前にコンビニに寄ったら、傘を盗まれた。
新しいスーツを下ろしたときに限って、いつも雨に見舞われるのは何でなんだろうねえ……。
帰宅して、試験の課題図書3冊目を読了。あと2冊。
ドラッガーの次はバーニーですか……はいはい、読みますよ、読みますとも。

毒にも薬にもなる教科書作品。最後の3冊目は松下竜一『絵本』。
いや、これはどちらかというと「薬」のほうだと思う。
前2作はどちらかというとあっと驚くショートショート的な趣が強く、
しかも人間のあさましさや狡さのよく出た作品だったのだが、この話はちょっと違う。
仕掛けなどない。純粋に美しい話。
初めてこの話を読んだとき、涙がこらえきれなくなってトイレに駆け込んで泣いた。
さっき自宅の『松下竜一 その仕事』(河出書房新社)で久しぶりに読んだのだが、
やはり泣きそうになってしまった。
小説というよりも、エッセイに近い作品。こんな話だ。

ある日作者の家に、差出人不明の小包が届く。その中には、一冊の「ももたろう」の絵本が入っていた。親切な読者さんが三歳の子供のために送ってくれたのかと思ったが、中に入っていた手紙の署名を見て、作者は愕然とした。そこには、十二年前に死んだ作者の親友Fの名が書かれていたからだ。
Fは肺病で死んだ。死を覚悟した病院で、彼は愉快な計画を思い立ち、手紙を書く。親友である作者が将来結婚して、子供が三歳になったときを見計らって、絵本を送ってやるのだという計画。すでに病床から動けないFは、母親に頼んで三歳くらいの子供が読む絵本を買いに行かせる。そうしたら、母親は何と「ももたろう」の絵本を買ってきてしまった。もっと気の利いた本はなかったのかとFは思うのだが、まあいい。三歳の子供がどんな絵本を喜んでくれるのかなど、わからないのだから。Fはその手紙を書いた二週間後に息を引き取った。絵本の入った小包を父親に託して。
その小包が、十二年の歳月を越えて、作者の手元に届いたのだ。しかも、Fの予想したとおり、作者は結婚し、子供はまさに三歳になっていたのだった。Fの家族は彼の死後離散し、Fの父親も二年前にすでに亡くなっていた。そうであるならば、いったい誰の手で、この小包は届けられたのか。送ってくれたのは、F自身であるとしか、考えられないのだ
……。

この話、絵本は「ももたろう」でなくてはならなかったと思う。
これがノンタンシリーズや、「おばあさんのスプーン」や、「ごろごろにゃーん」ではいけない。「ももたろう」でなくてはいけない。
どこにでもある陳腐な、センスのかけらもない「ももたろう」の絵本だったからこそ、この話はものすごく感動的な話となったのだと、俺は思う。
亡くなったFも、本当は自分で本屋へと足を運び、なけなしのお金で精一杯の背伸びをして、素敵な絵本を買いたかったのだろう。
病床に臥す身ゆえに、そうはできない辛さ。だから余計に、切ない。
しかし「ももたろう」の絵本であったがゆえに、Fは作者に宛てた手紙をこう締め括った。
「君の子供が、君には似ない、健康な子供であるように。この桃太郎さんのような」と。
この部分で、俺は涙が止まらなくなってしまった……。

松下竜一大分県の中津で創作活動を続けた作家である。
「ビンボー作家」「売れないものかき」――豆腐屋を廃業し、ペン一本で生活をたてた彼の一生を、まさにこれらの言葉が形容しつくしている。
手元の『底ぬけビンボー暮らし』(筑摩書房)によれば、作家生活満二十周年の年の年収見込みは、120万円だったそうである。
これで一家の大黒柱。しかも、繰り返される入院生活。
素朴でじんわりとくるエッセイ多数。確かに、派手さはないのだけれど。
その通称「松下センセ」も、残念ながら昨年6月、67歳で他界された。

『愛のサーカス』同様、この話もすでに教科書からは消えてしまった。
いや、掲載されていたときも、実はこの作品、中学校三年生の教科書のいちばん最後の作品として掲載されていたのだ。
国語の授業において、先生は教科書の最後の作品まではまず行き着かないだろう。
しかも中学三年生といえば高校入試を控えた学年。
ほとんどの生徒は、1月・2月など、受験のことで頭が一杯にちがいない。
そんな中で、この作品を読んだ中学三年生は、果たしてどれくらいいたのだろうか。
そう考えると、この作品の扱われ方こそが、不遇の作家・松下竜一の姿を端的を表しているようで、何だかとても切ない。
優しさに満ちた、純粋でとてもいい作品なのに……。

そんな苦しかった作家の一生に比べると、俺などどんなに恵まれたことか。
昼メシが「緑のたぬき」だけでも、夕飯がラーメン一杯でも、土曜日まで働けちゃう身の上は幸せではないか。
というわけで、明日もがんばって夜遅くまで働きますぞ、と。