『仁勢物語』

減酒生活も1週間。
といっても、そんな簡単に効果も出るわけはなく、今日の午前中はしんどかった……。
昼休みに入って即行で爆睡。
効果ねーんなら酒も解禁するか……といいたいところだが、そうもいかんね。
同僚のOくんに誘われたが、丁重にお断りした。
明日は今月に入って初の休日。
バニーガールなら大喜びだが、俺を呼んでいるのは分厚いバーニーの戦略論である。
あーうれしーなーもー。

2時に寝る、というのがいかに難しいのかを痛感させられる1週間だった。
何しろ、眠くない。身体は疲れているんだが、眠くなってくれない。
ここ数日は「あしたのジョー」すら自重しているんだが……うーむ。

実家のパソコンから、今日は『仁勢物語』でも。
わけのわからん経営書ばっかり読んでいると、
逆にこういう思いっきりバカバカしい話を読みたくなるものだ。
伊勢物語』なら知っているけれど、『仁勢物語』?という人は結構多いのではないかと思う。
「仁勢」は「にせ」と読む。もうこれでおわかりだろう。
そう、『仁勢物語』は、江戸時代に仮名草子で普及した、『伊勢物語』のパクリ本、パロディである。
伊勢物語』といえば、平安時代の歌物語で、在原業平ではないかと伝えられるプレイボーイにまつわる話(主に恋愛遍歴)が収められた作品。
一章段が短いせいもあって、すうっと読んでいける古典作品だ。
「芥川」「筒井筒」「さらぬ別れ」あたりは、高校で勉強した人も多いのではないか。
源氏のナルシスティックなプレイボーイぶりよりも、
俺はこういうちょっとドタバタ系プレイボーイのほうが好きだな。
イメージをたとえるならば、「探偵物語」の松田優作みたいなもんか?(古っ!)

で、『仁勢物語』はこの『伊勢物語』を完全にお笑いの方向へ持っていった、
大変優れたお下劣作品である。
伊勢物語』にも結構際どい男女の駆け引きなんかがあるのだが、
『仁勢物語』はそれを完膚なきまでの卑しき下品の世界へと高めている点がすごい。
さらにすごいのは、伊勢物語の全百二十五段すべてを、完全にパロディ化したところ。
誰だよ、こんなヒマなことしたやつは……うらやましい。
もちろん中には「これはムリがあるだろ」と思う章段もあるのだが、
バカバカしいことに対する作者のその熱意は、賞賛に値する(ちなみに、作者は不詳)。

一番爆笑したのは第七段「かへる浪」のパクリ部分なのだが、
あんまりに卑猥なので引用は控えます。
では第一段でも、と言いたいところだが、
字数の関係もあるし、短くて無難な二十九段でも。
(第一段はyahooで検索してみると、他の方のページに出ています)

・『伊勢物語』第二十九段「花の賀」(ホンモノ)
むかし春宮の女御の御方の花の賀に、召しあづけられたりけるに、
  花に飽かぬ 嘆きはいつも せしかども けふのこよひに 似るときはなし
《テキトーに対訳》
昔、男が春宮の女御の御殿の花の宴会に、お招きされたときに、
  桜の花に飽きずずっと眺めていたいという嘆きは、いつもしてきましたが、今日の今宵ほどずっと眺めていたいと思ったことはございません(と詠んだ)

・『仁勢物語』第二十九段(ニセモノ)
をかし山寺の稚児たちの花見に、飯も酒もなかりければ、
  腹に飽ける 菜飯はいつも 食ひしかど けふのはなみに 煮る米もなし
《テキトーに対訳》
変な山寺の子供たちの花見に、飯も酒もなかったので、
  腹いっぱいになる菜飯はいつも食っているが、今日の花見には煮る米もないじゃねえかコノヤロー(と詠んだ)

とまあ、こんな具合である(この章段、やっぱ下品さには欠けるな。第七段とは雲泥の差だ)。
ちなみに、『伊勢物語』は「昔、男ありけり」(昔、男がいた)で始まる章段が多いが、
『仁勢物語』ではこれがことごとく「をかし、男ありけり」(変な男がいた)に置き換えられている。

ちなみに、近年では清水義範が『江勢物語』(「江勢」は「えせ」と読む)なるパロディを出しているそうな。
かなりおもしろいらしいが、まだ読んでいない。

あースッキリした。さ、バーニーでも読みますかね。