溝の口について

部署の引越しが朝からあり、会社へ。
男手が足りないとかで、男は机を運んだりしなきゃいけないんだが、腰の具合もあってあまり気が進まない。
でも腰のことは一応ナイショにしているわけで、あまり力を入れずに運ぶ。
引越しはあっという間に終わり、その後は自分の仕事に。
15:00を過ぎる。広いフロアに残されたのは自分ひとりだけだ。すでに誰もいない。
18:00を過ぎ、体がウズウズとしてくる。何だか久しぶりに溝の口にでも行ってみようかって気になった。

溝の口は好きな街だ。
会社の近くに住んでいた一時期、この街に毎週のように足を運んでいたことがある。
何というか、俺のような人間が一人で過ごすにはとても楽しい街なのだ。
東急の改札を出たところにある高架の駅前広場には丸井があって、いかにも現代的なのだけれど、下に降りて散策すると非常にごちゃっとした濃い街である。
入り組んだ細い道。路地にある庶民的なマーケット。立ち飲み屋。汚いドブ川。細い横丁のアーケード商店街。安い定食屋。曲がりくねった歩道橋。
お上品な田園都市線沿線の中では、唯一下町らしい駅と言ってもいいかもしれない。

そんな溝の口に行きたくなった理由は、大きく2つある。
1つは、歩道橋を降りたところにある「たまい」という焼鳥屋のカウンターで久しぶりに飲みたくなったから。
「たまい」の焼鳥は、うまいと思う。肉が柔らかい。柚子胡椒に非常に合う。
また、焼鳥以外のつまみもなかなか凝っていて美味しい。
もう1つは、桜木町に引っ越す直前まで、小さなパチ屋N店に「サブライム」というパイオニアの台が置いてあったから。
この台、すでに自分の知っている店のどこにも置いていないのだが、とにかくボーナスを引いたときの音楽がめちゃ泣けるのだ。
この曲を考えた人は、天才だと思う。もしCDがあったら一日中聴きまくって、泣きまくりたいくらいだ。周りに店員や客がいなければ、その場でもマジで泣ける。何でこの曲は、こんなに哀しいのか。美しいのか。問いかけてくるのか。
あの音楽を聴きたいがためだけに、何度「サブライム」を打ったことか。
液晶なき時代のパチスロの魅力っていうのは、基本がリーチ目とボーナス時の音楽にあったわけで、そういう意味ではこの台の完成度は非常に高かったと思う。この台がリリースされたときは、すでに液晶主流の時代だったのだけれど。
もちろんこの台に液晶などは付いてない。フラッシュと告知ランプ(そして打ち手のイマジネーション!)があるくらいである。そしてときに、Bモノ(=違法改造台)を髣髴とさせるような爆発を見せる。
あの「サブライム」はまだあの店に、生きているのだろうか。

19:00。溝の口着。まずはN店へ足を運んでみる。
路地に入ったところにある相変わらず目立たない地元店。二階のパチスロコーナーは、何と未だに木の床である。
が……残念ながら「サブライム」は消えていた。かつて「サブライム」のあったシマには、わけのわからん液晶の付いたアラジンなんちゃらがのさばっていた。ううっ!あの芸術的な音楽はもう聴けないのか。どうせアラジンなんちゃらだって誰も打ってないんなら、「サブライム」残しとけ!
さようならN店。もう二度と来ることはないだろう。
その後、N店の向かいにある当時よく行っていた中型店・M店にも足を運んでみた。
ここでもショック。2階の沖スロコーナーが閉鎖されていた。
かつてはハナハナ、シオラー、ビッグシオ、ハイビなどのBモノで活況を呈していたこのフロアも、今や立ち入り禁止。ううっ。
世の中、きれいになりすぎちゃうんか!
仕方ないんでこれも来訪記念に「信長の野望」(IGT)なる5号機を擦ってみる。つ、つまらん……大仰な演出がいくらきたところで、たかが知れている。何の期待感もない。ドキドキもしない。こんな台打つんなら、何の液晶もないジャグラーでも終日打ってますよ。
ノマレてから、さらにK店へ。この店にはまだ山佐の「おいちょカバ」という台が残っていたが……これもありませんでした。打ちたい台など一台もない。
仕方ないんでパチンココーナーを覗いてみたら、へえ、「デラマイッタ」の後継機なんて出てたんだ。
この台の前身機には鶴岡時代にお世話になった。釘が読みやすい。風車と寄り、ヘソだけで、かなりいけた。甘かった。
何しろ演出が7セグオンリーである。すなわち、つまらん液晶演出など付いていない。
ふざけた名前とは裏腹に、7セグオンリーでできる限りのことを表現しようとした、アンティークな格調高い台だった。
仕様は変わったとはいえ、この台は昔の「デラマイッタ」の演出とそれほど変わっていない。スモール・ビッグ・コメット、そして「白鳥の湖(スワン)」……
音楽の上質性は多少大仰になったとはいえ、相変わらずだ。しばし陶酔できた。ありがとう。俺にはこれくらいがいい。
以上3軒で遊んで、1.5Kのマイナス。平和な夜である。

そして久々、「たまい」のカウンターへ。店内も店員も相変わらずだ。
さっそくカウンターに腰をかける。メニュー表だけはおしゃれになっていた。
牛スジの煮込みにねっく、正肉、砂肝を2本ずつ。酒は芋焼酎
会社のそばに住んでいたのが約3年。思い起こしてみればこの店には、結構思い出があったりするものだ。
数年ぶりに妹と二人きりで飲んだのがこのカウンターだった。
2週間後に結婚するという後輩M嬢がやってきて、隙間風の冷たい入り口近くのカウンターで2人で飲んでいたら、すでにM嬢の終電がない。もうすぐ結婚する女性を俺が泊めていいのだろうか?と煩悶しつつも、仕方ないので俺の家に泊めたこともあった。
その他さまざまなこの店の思い出に浸りながら、カップルの横で、黙々と独りグラスを傾ける。
最後のシメは「スープ餃子」。これが、安くてうまい。あったかい。

沖縄では昔から言うらしい。「男は過去に生き、女は未来に生きるのだ」と。
俺は過去のほうで、全然かまわない。むしろ過去を失ってほしくない。
過去なくして、未来などありえないと思う。
少なくとも、今宵はそう思う。