田子倉駅について

仕事。今日から8人体制に。リーダーも無事おりたことだし、早めに帰る。飲みにも行かなかった。
久々の株ネタ。2922なとりが今日で何と11連騰!
さすがに上げ幅は小さくなってきたが、それにしてもすごい。
実はライブドア・ショック以来、この銘柄をちまちまと買い増し続け、気づけば投資額のほとんどがこの会社になっている。
同じ考えの人がいるから、このような上げ方になるのかもしれない。
以前2819エバラ食品がきれいに上り線を描いていたときも、同じような動きだったような気がする。エバラと同じということは……んっ?


さて、今宵は桜木町に着く頃には雪がちらついていた。
東京の雪はやはり水っぽい。この雪ではあまり積もらないし、積もってもすぐに溶けてしまうだろう。
そんな雪の夜、2月の雪にまつわる思い出話でも、ひとつ。


大学の頃、只見線というローカル線に乗って、とある駅で途中下車したことがある。
その名を「田子倉駅」という。新潟県福島県の境目、六十里越トンネルという長いトンネルを抜け、福島県に入ったところに、この駅はある。


俺にはヘンな趣味があり、こういう誰も降りない駅の存在を知ると、無性に行ってみたくなってくるのである。
幼い頃、都会育ちだった自分にとっては、そもそも「駅」というのは人が乗り降りするところであって、誰も利用しないような駅などは存在しないはずだと思っていた。
ところが小学校の頃、図書館で「北海道630駅」という本を借りて読んでみたら……
まさに目からウロコだった。
あるのである。一日に1人も降りない駅や、降りても1人か2人しか降りないような田舎の駅が……。


田子倉駅もそんな駅のひとつである。周囲には人家がまったくない。
以前持っていた駅の本では、確か1日に平均して1人か2人くらいしか降りない駅になっていたような気がする。


ともあれ、東京では味わえない豪雪を目にしたい気持ちも手伝って、夜行列車で1人、この駅へと出かけてみたのだった。
長岡駅から只見線に乗り、熱燗を飲みながら車窓を眺める。
雪景色っていうのは案外退屈なものだ。何せ車窓はずっと真っ白である。
しかも豪雪地帯ともなると、雪のトンネルの中をひたすら走っているようなもので、人家や周囲の山々すら見えないのである。
と、何時間くらい経ったのか、「まもなく田子倉です」という車内アナウンスが入る。
こういう駅に降りる時ってのはやはり緊張するもんである。車内の地元客は、まさに降りんとする俺を、たいてい怪訝そうな目で見る。
「本当に下車でいいんですね?」「はい」
ホームに降り、車掌に切符を見せる。納得した車掌は、ディーゼル列車を次の駅へと走らせる。
次第に列車のモーター音が遠ざかっていく。
俺一人になった。


田子倉駅のホームは、スノーシェルターすなわち雪よけに覆われている。短いトンネルの中にいるような感じだ。
ホームには1月の日付の弁当ガラが落ちていた。この日は確か2/18だったと記憶している。とすれば1ヶ月前に誰かがこの駅に来たのだろう。
ホームから駅舎までは、それほど長くない階段を登る。妙に埃っぽい。
登りきって狭い通路のようなところを歩く。行き止まりの場所から明るい光が漏れている。
出口があるのだ。


……驚いた。
何と、出口が自分の身長よりもはるかに高い積雪で完全に塞がれていたのである。これでは外に出られない。
しかし出口から見上げると、青空が見える。冬の晴れ間。
さて、どうする?あと2時間はここにいなくてはならないのだが……
そこで、思い切ってこの積雪を登ってみることにした。
駅舎の壁に足を掛けながら、雪をつかんで登ってみた。
雪を登ると、駅舎の屋根の部分にまで上がることができた。


ここで見た光景を、俺は一生忘れないだろう。
美しい。美しすぎる世界が広がっていた。
遠方に田子倉湖という湖が見える。冬の太陽に照らされ、水面がキラキラと反射している。
その上を3羽の鳶が旋回していた。
そして、風の歌が本当に耳を掠めるのだ。
ベースラインは、雪解けの水の音だ。
怖いという気すら起きなかった。荘厳な自然への畏怖の念が心に湧き起こっていた。


やがて列車が再びやって来た。
車内に入ると、行きの列車と同じ車掌だった。
「あんな駅で降りるから、この列車に乗ってこなかったらどうしようかと思いましたよ。自殺でもしにきたのかと思って不安になっちゃって」
車掌に「すいません」と笑いながら謝った。


数年前から、田子倉駅には12月〜3月の間は豪雪のため列車を止めないことにしたのだそうだ。
残念というべきか、貴重な体験ができたことを喜ぶべきか。


最近の俺はこんな一人旅をすることもすっかりなくなってきた。
でも、毎年冬になると、陸奥の豪雪地帯にぽつんと存在する無人駅に、また降りたくなってくるのである。