佐藤よしお ロバよしお

いま、手元に1枚のCDがあります。MARLENA SHAWの「WHO IS THIS BITCH,ANYWAY?」というCDです。
このCDをある方に借りて、3週間になります。どうしてこのCDを借りたのか、それは「サザンの『いとしのエリー』にそっくりな曲が入ってるんだぜ!」とその方に言われたからです。
折しも、今朝最寄りの駅から電車に乗るときに、コンビニで平井堅という人の曲を耳にして、瞬時に「あれ、これってZIGGYのGLORIAのサビにそっくりじゃねえ?」と耳を疑いました。


伊豆に引っ越して、1年以上が過ぎました。
2回目の伊豆暮らしも相性が悪いのかもしれない。新しい土地での新しい生活は、ある事件が起きてからとても孤独なものになりました。桜木町に住んでいたころのように、会社外の人たちとコミュニケーションをとることができない。一人で飲みに行っても、そう簡単に友人もできない。いや、もともと人見知りな性格。桜木町でもそうだった。時間がかかる。会社や仲のいい人からは信じられないと言われるのだけれど、決まった「何か」がなければ、僕の話す言葉は決して上手くはない。気の利いたセリフは僕の口からは出てこない。不器用に、何となく伏し目がちになってしまう。
かといって、家にいれば考えてしまう。何か自分から変えないと。
そんな状況の中、新横浜YAMAHAに引き続いて、今年の3月、ドラムのレッスンに通うことにしたのでした。


そこで初めて、僕にとって友達のような方ができました。
佐藤よしお先生。いや、かの有名なバンド・ビジーフォーでは、ドラマー・ロバよしお。


最初にレッスンに行った時、スタジオに入ると、そこにはエアロスミスのスティーブ・タイラーのような皺の深い顔の先生がいました。異様な雰囲気。自己紹介もままならず、「あのさ、じゃあとりあえず叩いてみて」。
「ふーん」。別段褒めるわけでもなく、けなすわけでもなく。何を話されたのかよく憶えていません。ただ、いかにも言葉遣いが悪い、ガラが悪い。そして、この人、何となくアル中っぽい匂いがする。
そして、わけのわからん変拍子を教えられました。
正直、俺、ここでレッスン受けるの辞めようかなと思いました。いったい何なんだ、この先生は?


それでも、とにかく何かをはじめたくて、とにかく規則的な何かがほしかった俺は、この先生に指導してもらうことにしました。
2回目のレッスンだったか。「君はさ、重心がしっかりしてるんだよ。基本はできてるな。だから、あとは俺が細かい技術を教えていくから」と言われました。
それから、ひたすらダブルストロークの練習。ひと段落すると、フラムの練習をさせられました。
たまに俺のリズムがうまーくはまると、先生は
「そーうです!!!!」
と大声で叫びました。しかも、とても気持ちよさそうに。


ダブルストロークがしっかり叩けるようになってきたころから、先生と自分は打ち解けてきました。バカな話もするようになったし、先生の言っていることも理解できるようになってきました。
しかし、それにしてもルーズというか、ぐうたらというか……スタジオのドアを開けると、たまに横になって寝てたりします。中年太りなのか、下腹はぷくうっと出ています。つうか、どんだけ不摂生なんだ? この人は。


でも、ドラムは巧い。それまでに新横浜で習っていた先生とは異質の巧さがあることに気付きました。スティック捌き、センス。そして、型にはまらないリズム感。
ロック中心だった自分にとって、それは足りないもの、新しい世界を知ることのチャンスなんだと思えるようになりました。


ギロッポンでパイオツのかいでーナオンとシーメーしてさ……」
「士 農 工 商 乞食 ドバン」


先生は僕に刺激的ないろんな話を聞かせてくれました。ビジーフォーで叩いていたころの話、ステージが終わって食事に連れて行かれたらスナックだった話、家の前で女が自殺を図っていた話、自衛隊の訓練の話……笑う時、先生は目を見開いて大げさに笑いました。
ときには、レッスンそっちのけで1時間雑談を聞かせてくれることもありました。その世界のおもしろさに、俺はどんどん引き込まれて行きました。
しかし、ときには、
「なあ、俺たち大人ってのはさあ、やっぱりこれからの人間にさ、俺たちが知ったことを教えていかないといけないんだよな」
そんなふうに先生が言っていたことがあります。そのときの先生の眼は、真剣でした。


3ヶ月前のこと、先生は俺をセッションに誘ってくれました。
「東京から三島にさ、1ヶ月に1回、相当巧い連中が来るんだよ。勉強にもなるし、おいで」
1度だけ、参加させてもらいました。レベルが半端ない……そんな中で、俺も他の人と合わせました。即興で曲をやったんだけど、俺は緊張で8ビートしか踏めず、挙句の果てに1ではなく3のところでクラッシュをたたいている始末。リズムをキープするのがやっと。
そんな俺を見て、「でもさ、お前リズムが狂わねえんだよね。ドラマーとして、いちばん大事なことじゃんか」。バーのカウンターに腰かけていた先生が俺に、そう言ってくれました。


ここ1ヶ月、先生は俺にビデオやCDを貸してくれるようになりました。スティーブ・ガットのビデオを見て、なるほどー、先生はガット様の影響が大きいんだなーとか、ジャズドラマーってすげえんだなーとか、聴くたび新鮮でした。
レッスンでもほめてもらえることが多くなりました。3週間前だったか、「もう充分に巧いよ。そんじょそこらのドラマーには負けねえはず」、そう言ってもらえたのがとてもうれしくて、その言葉を何度も頭の中で反芻しました。


そんな先生が、昨晩自宅で遺体で発見されました。
プロドラマー・佐藤よしお。享年54歳。


奇しくも、俺は先生の指導を受けた最後の生徒になってしまいました。
先週の火曜日のレッスン、流れの中で今まで習ったことをいろいろ試してみようぜ、先生はそう言いました。
今までに習ったフラム、ハイハットとスネアのコンビネーション、ダブルストロークロールを使ってフィルを入れる。
まるで予定調和の流れの終末にあるような、その指導が最後でした。
いつもはレッスンが終わったら外に出て、一緒に煙草を吸ってから帰るのに、この日先生は俺にこう言いました。


「俺、もう少しスタジオにいるからさ、今日は先に帰ってて」


この日の夜以来、先生を見かけた人は、今のところ誰もいないようです。


酒を浴びるように飲んでいた先生は、肝硬変でした。中年太りのように見えた腹も、アル中っぽい匂いも、そのせいでした。
いま思えば、レッスンの前に寝ていたのも、体調がすぐれなかったからなんでしょう。
「俺、今は酒飲めないんだよねー。酒飲むのやめたらさ、友達が絶対飲むなって電話かけてきてさ、かわりにキモチよくなるモノ仕入れとくからよォとかいいやがってさあ。いいんだか悪いんだか……ま、ミュージシャンだからねえ」
そんな話を一度聞いたことがあります。セッションを行なっているバーのマスターや常連さんの話では、酒飲みで、女好きで、やりたい放題生きてきた、そんな先生。天国で、ああこれで酒飲めるって今頃飲んでるよ、なんて。


だけど先生、俺、もう少し先生の武勇伝を聞きたかったよ。だって、他にもたくさん、おもしろそうな話がありそうだったじゃんかよ。
先生の持ってる技術ってやつをもっと教えてもらいたかったよ。そして、俺がフラムやダブルストロークを難なく使いこなして叩いてる姿を、見せたかったよ。
先生の好きな音楽だって、もっと知ってみたかったよ。
こっちに引っ越して、はじめてできた友達と、たった9ヶ月間の付き合いで終わりかい? まだCDも返してないじゃんか! 俺にとっては、早すぎるんだよ!


でも俺、これから先生に教わった技術、ステージで使いこなせるように練習するよ。佐藤よしお、伝家の宝刀をモノにするよ。
こんなへたくそな、最後の弟子なんてのがふさわしくない出来の悪い生徒で、ごめんね。でも俺、がんばるよ。
最後のレッスンで少しだけ教えてもらったポルノグラフィティの「アゲハ蝶」のウラ打ち、まずは来年の1月に正確に叩いてみせるぜ。
天国にビート、届かせるんだ。先生の酒がぐいぐい進む、気持ちいいビートをさ。


ありがとう。佐藤よしお先生。ロバよしおさん。先生のことだもんな、天国でも楽しいリズム&ビート人生だよね、きっと。


【通夜・告別式のご案内】
佐藤よしお先生は一人暮らし、お母さまはすでに施設に入所されており、弟さんは東京暮らし。近所付き合いもほとんどなく、知っている方もあまりいないのではないかということです。
三島・オレンジ村楽器店の店長さんとお話をして、佐藤よしお先生の葬儀には、できるだけ多くの方にいらしていただきたいというお話になり、この場を借りまして通夜・告別式のご案内をさせていただきます。
もし先生のお知り合いの方がご覧になられましたら、足を運んでいただけましたら幸いです。


・通夜
2009年11月27日(金) 18時より セレモニーホール三島平安会館にて

・告別式
2009年11月28日(土) 11時より セレモニーホール三島平安会館にて

↓セレモニーホール三島平安会館の地図
http://navishizu.com/055-999-2000/